神戸地方裁判所 昭和36年(行)1号 判決 1963年7月05日
原告 丸井幸次耶
被告 神戸東労働基準監督署長
訴訟代理人 叶和夫 外三名
主文
被告が原告に対して昭和三三年五月二四日になした障害補償費を支給しない旨の決定はこれを取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事 実 <省略>
理由
原告が訴外大日作業株式会社の常傭仲仕であつたこと、昭和三〇年三月七日神戸港中突提第二上屋内で貨物の積出作業中、板片が落下して原告の右眼高下部に当り業務上の負傷をしたこと、原告は被告に対してこれに起因する疾患に基く視力障害があるとして、労働者災害補償保険法による障害補償の給付を請求したが、被告はこれを支給しない旨の決定をしたこと、原告は被告の右決定を不服として兵庫労働者災害補償保険審査官に対して審査の請求をしたが、同年九月五日同審査官は右の請求を棄却する旨の決定をし、原告は更に右決定に対して労働保険審査会に再審査の請求をしたが、右審査会は昭和三五年九月三〇日付でこれを棄却する旨の裁決をし、同裁決書は同年一二月五日原告に交付されたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第五号証によれば被告の前記不支給決定は昭和三三年五月二四日なされたことが認められる。
原告はその視力障害は前記負傷に起因する各疾病に基くものである旨主張し、被告は原告には視力障害の事実はなく、又これらの間には何ら因果関係がない旨争うので、この点について判断する。
原告が昭和三〇年三月八日神戸医科大学付属病院で、右眼びまん性表層角膜炎、右眼陳旧性中心性網膜炎と、同月一〇日及びその後頃高橋眼科病院で、右眼外傷性鞏膜炎、右眼閃輝性暗点、顔面神経痛と、同年五月二四日頃右眼びまん性表属角膜炎、急性結膜炎による右眼点状角膜白斑と、それぞれ診断され、昭和三三年五月七日頃までに右各疾患は症状が固定し、なおつたものと診断されたことは当事者間に争いがない。
よつてまず右各疾患の原因について考えるのに、いずれも成立に争いない甲第二、第三号証、同第五ないし同第九号証、乙第六号証並びに証人高橋重勝の証言及び原告本人尋問の結果を綜合すると、中心性網膜炎は結核に、びまん性表層角膜炎はビタミンBの欠乏に、鞏膜炎は慢性的に結核、梅毒、病弱などに、閃輝性暗点は神経症その他の一般症状にそれぞれ起因する場合もあるが、右各眼疾患及び顔面神経痛は外傷も契機となることもあるところ、原告は従前より身体は強健で、復員後引続いて故障なく肉体労働に従事してきており、結核、梅毒などにも罹患したことはなく、とくに眼についてもかつて著して疾患も自覚症状もなかつたのに、作業中高さ三米位のところから落下した尺角のベニヤ板の角が原告に当り、右眼球自体には直接損傷はなかつたが右眼瞼部に、かなりの衝撃を受け同部に皮下裂傷を蒙つた結果、はじめてこれに触発されてその数日後から次第に右眼毛様充血、鞏膜炎、閃輝性暗点及び顔面神経痛に罹患し、その症状が生じたこと、そうして爾余の眼疾患はその経過中に生じたものであること、もつとも中心性網膜炎はいわゆる陳旧性のもので(原告の負傷前から発病していたこと、さればこそ主治医高橋医師は、昭和三〇年七月一二日付、昭和三三年四月一三日付、同年五月七日付の各診断書記載のように、少くとも閃輝性暗点、鞏膜炎、びまん性表層角膜炎については発病後これを外傷性のものと認めていたこと、加えて、神戸医科大学付属病院有沢医師も負傷の翌日の所見として原告に右眼びまん性表層角膜炎がありこれが外傷に因ることもある旨診断していたことを認めることができる。
右認定事実に徴すると、高橋医師診断の閃輝性暗点、鞏膜炎及びまん性表層角膜炎については負傷前は発病しておらず、前記負傷に起因して発生したものと推認するのが相当である。成立に争いのない乙第三号証は前顕各書証と対比して措信できず、成立に争いのない乙第五号証及び証人大西清治の証言のうち右認定に牴触する部分は採用できない。ほかに右認定を左右する証拠はない。
次に原告の視力障害の有無及び原因について考えてみるのに、いずれも成立に争いのない甲第二号証及び同第一〇号証、乙第一、第二号証並びに証人久保省吾、一同高橋重勝の各証言及び原告本人尋問の結果を綜合すると、昭和三〇年五月一二日神戸医科大学付属病院有沢医師による原告の自覚的視力検査は右眼(裸眼以下同様)〇、四、左眼〇、五、大阪大学付属病院における検査の結果、昭和三三年四月一一日自覚的視力右〇、五、左〇、九、翌一二日オーム氏変法による他覚的視力測定値は右〇、七、左〇、七、同年五月八日自覚的視力測定値は右〇、五、左〇、九、同月九日他覚的視力測定値右〇、七付近(但し〇、六五以下に出ることないもの)、ランドルト氏環視標による自覚的視力測定値右〇、三、左〇、八、同年七月四日自覚的視力右〇、四、左一、〇と診断され、数名の専門医による数度にわたる自覚的視力検査の結果とくに右眼は〇、三ないし〇、五の間を動かなかつたこと、受傷部位に至近で従つて罹患の多かつた右眼が左眼に比べて相当程度、視力が劣ること、原告も終始これを訴えてきたこと、そうして前記の他覚的視力測定値と自覚的視力測定値とが異つておるのは右眼らせん状視野など神経症的素質を示す所見がみられた事実などと併せて、ヒステリー症、神経衰弱、詐病などに起因する場合も考えられはするが決定的なものでないこと、むしろ、原告は適応度の狭い性格構造の持主であることは窺えるが、当時頃神経病学的異常は存在しなかつたこと、その後の同病院の検査では前記らせん状視野が認められないこともあつたこと、同年四月一一日同病院でトラウマテイシエノイローゼ(いわゆる外傷性神経症)と診断を受けたこともあつたこと、一方びまん性表層角膜炎、閃輝性暗点、鞏膜炎は視力障害の原因ともなること、以上の各事実を認めうる。而してこれと前段認定の如き傷病の経過、及び原告の健康状態とを綜合すると、むしろ鞏膜炎、閃輝性暗点、びまん性表層角膜炎が原告の視力に復合的に影響しこれが成因となつて原告には前記負傷前にはみられなかつた右眼の視力障害が発生し、右疾患のなおつた後にも該障害が残つていると推認するのが相当である。成立に争いのない乙第五号証及び証人大西清治の証言のうち右認定に牴触する部分は採用するに由ない。
そうすると原告の視力障害は業務上生じた負傷ないし疾病に基き、これがなおつた後にも存すると解するのが正当であるからこれと異る認定に出た被告の原告に対する障害補償費を支給しない旨の決定は失当として取消を免れない。
よつて原告の本訴請求を正当として認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 関護 奥村長生 礒辺衛)